「二上神(ふたがみのかみ)」をご祭神とする射水神社は、霊山・二上山(ふたがみやま)の神々を祀っており、古来よりの自然崇拝の名残を色濃く留めています。
国守として越中に赴いた万葉歌人の大伴家持(おおとものやかもち)も、「二上山の賦」(『万葉集』巻17 3985番歌)を詠み、この歌で家持は「振り返って仰いでみると、神の御心(みこころ)のためか、貴く、見ていても飽きない皇神(すめかみ)だ」と神々を崇め、二上山を賞賛しています。
二上山には射水神社の摂末社(せつまっしゃ)4社が鎮まり、また古城公園内の椿山には末社の高岡市護国神社が鎮座されています。
日吉社 ひえしゃ摂社
ご祭神 大山咋神 おおやまくいのかみ
ご神徳
- 諸産業隆昌
- 家門繁栄
- 醸造守護
ご祭神は山の神の代表格で、二上山山頂の第一の峯「奥の御前」に鎮座されています。
春祭は4月18日、秋祭は9月22日に行います。
悪王子社 あくおうじしゃ摂社
ご祭神 地主神 じぬしのかみ
ご神徳
- 力運拝受
ご祭神は山の守り神となった荒ぶる神で、二上山山頂の第二の峯「前の御前」に鎮座されています。
「悪」とは「強力」の意味で、格別な御神威(神様の御力)をあらわされる神様として、篤く信仰されています。
春祭は5月13日、秋祭は7月10日に行います。
悪王子伝説
※悪王子伝説は、一説に僧の行基が大和国から三柱の神を招き、魔物を屈服させたと伝わるなど、語り部によって若干の差異はありますが、おおよその内容は次の通りです。
その昔、二上山には強烈な力を持った魔物が棲んでおり、毎月1日・8日・13日・23日・28日の5回、越中四郡つまり現在の富山県一円から若い娘を1人ずつ、年間60人を「人身御供(ひとみごくう)」として差し出さなければなりませんでした。娘達が親もとから居なくなり、大いに嘆き悲しむ越中の民の声は、やがて帝の耳に達し、ついに「越中の邪神、討つべし」との勅命が下されました。
そこで邪神の追討を任されて都からやってきたのが「俵藤太」こと、藤原秀郷でした。秀郷は、次の「人身御供」として白羽の矢が立った娘の打掛を頭から被って身代わりとなり、陽が落ちて魔物が現れると、自慢の弓を射り、刀を抜いて切り裂きました。
魔物の正体は、二上山を七巻き半もする大蛇で、その傷口から吹きこぼれた血が草木を燃やして麓へと流れ落ち、現在の山道となりました。大蛇は改心して、二上山を守護すると誓ったことから、悪王子社に祀られ、以来、二上山の地主神(じぬしのかみ)として崇められるようになりました。
(二上山文庫6『二上山の伝承』を参照、挿絵は同書より転載)
院内社 いんないしゃ摂社
ご祭神 菊理媛神 くくりひめのかみ
ご神徳
- 仲裁守護
ご祭神は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)の口論を鎮めた山の女神で、二上山の前面北峯「院内の谷」に鎮座されています。
春祭は4月下旬、秋祭は9月下旬に行います。
諏訪社 すわしゃ末社
ご祭神 建御名方神 たけみなかたのかみ
ご神徳
- 諸産業守護
ご祭神は大国主神(おおくにぬしのかみ)の御子神で、父神に代わって葦原中国を天照大御神に譲り、二上山の前面西麓の上二上に鎮座されています。
例祭は8月27日に行います。
高岡市護国神社末社
ご祭神 殉国の英霊3576柱
昭和10年(1935)12月に高岡市招魂社として創祀された殉国の英霊を祀る神社で、末社として古城公園の椿山に鎮座されています。第33代内閣総理大臣で陸軍大将であった林銑十郎の揮毫による社号標が建ち、春には満開の桜が城跡の境内を美しく彩ります。
春季例大祭は4月中旬、秋季例大祭は10月上旬に行われます。