神光普照 ― 復興の光に ―

あらためまして、本年の元日に発災致しました能登半島地震、そして、復興への歩みを踏み出そうとした矢先、能登の地に激しく打ち付けた豪雨によって、お亡くなりになられた方々の御霊安らかならんことを慎んで祈りを捧げ、被害にあわれた皆様方に心からお見舞い申し上げます。

 

今回の地震では、当神社の鳥居や境内及び園内灯籠の大規模な倒壊は免れたものの、玉垣のズレや部分的なひび割れが確認されました。また古城公園内では、二の丸(旧市民会館跡地)より神社大鳥居前へと参道を結ぶ国指定史跡「高岡城跡」土橋の路面に亀裂が生じました。公園管理者である高岡市と協議の上、10月20日現在も車両の通行を制限し、安全確保と保全並びに復旧作業に努めており、今まさに私たちは、地域の復興に向けた岐路に立たされています。

地震の被害は、神社職員の自宅を始め、日ごろ御崇敬をお寄せいただいております氏子崇敬者の方々にも及んでいることは耐え難いものです。元日夕刻、帰路が寸断され、参集殿で一夜を明かされたご家族さま、また自宅が損壊し、今なお避難生活を送っているご家族さまから『私たちの心の拠り所である射水神社の神様に大きな被害の出なかったことが私たちの心の支えです』とのお言葉を頂戴致しましたこと、決して忘れません。

私たちの思いは、ただ一つです。この度の大きな悲しみ、また悔しさを共有し、そして決して歩みを止めず、祈り続け、殊に、来年の斎行を予定しております式年大祭が、わが町の復興、そして、遠い昔、一国であった能登地方全域の復活を祈り、行き先を照らす〝光〟となり、一翼を担うとの決意です。

 

『神光普照(しんこうふしょう)』は、戦後官費を絶たれ衰頽極まりない射水神社の姿に恐懼し、復興に立ち上がるべく、神社の代表役員となり、自ら復興活動の先頭に立てるよう奉賛会長に就任された館哲二師の揮毫によるものです。師は、官民一致して厳粛盛大に行われた大正13年(1924)の「遷座五十年祭」以来、混迷する時局のため、杜絶えていた毎十年祭の再興に邁進され、昭和29年(1954)9月11日、「遷座八十年祭」と共に、古式の神幸祭をも復活して、神事に一層の崇厳を加えられました。

現在進めております、令和7年の御遷座百五十年祭に向けた記念事業の始まりは、令和元年の御大典記念の「令和の御社殿銅板屋根葺き替え修復工事」に遡ります。この間、約4,000枚の銅板屋根材のご奉納をいただきましたこと、そして、現在も引き続いてお力添えをいただいておりますことに深く感謝申し上げます。

さらに式年大祭への気運を高めるべく、令和5年6月25日、「式年大祭奉賛会」が結成され、基本方針・祭事日程、記念事業「御社殿銅板屋根葺き替え修復工事」「御鳳輦の新造」「神苑整備」等について正式に承認され、以降、各事業の完遂に向け、鋭意進めております。

本年9月15日夕刻、ご祭神に御本殿より仮の御殿にお遷りいただきます「仮殿遷座祭」を奉仕申し上げ、大神様の静宮であります御本殿屋根の葺き替え修復は、まさに現在行われております。そして、御本殿と共に、本殿を廻る玉垣の屋根材も輝く、来春4月22日には、ご祭神・二上神に御本殿へとお戻りいただきます重儀「本殿遷座祭」の斎行を予定致しております。

言わば、畏くも大神様には、御本殿をお出になり、御本殿前の仮殿、つまり私達の方へ少しくお近づきをいただいているとも言えます。大変に有り難いことと存じております。ぜひとも、この機会にご参拝、ご神縁をさらにお結びいただければと存じます。

 

結びに、ご崇敬皆々様の日々のご健康を心からお祈り致しております。

館 哲二 揮毫「神光普照」扇子